「問いを発する者の中に解がある」
一時期「自分探し」って流行りましたよね。今でも一定数はいるのでしょう。
筆者もサラリーマン時代、どうしようもない「鬱病」+「神経症」を患い(・・と今なら思える)禅門を叩きました。
片っ端から読み漁った禅本の中に「悟りとは犬の尻尾」という禅話がありました。
この話を読んで何かが吹っ切れたような気がします。
若い犬が長老犬に質問します。
「先生、悟りとはどこにあるのでしょうか?」
「ワシも若い頃随分と探したよ。そしてある日見つけた。それは尻尾なのだ。」
「随分と追いかけた。しかし追えば追うほど遠ざかる。追うのを止めるとそこにある。厄介なものだ」
そして若い犬はとぼとぼと帰って行く。
筆者が執拗に「カウンセラーは解答を述べない」というベースはここにあります。
ほとんどのカウンセリングにおいて、解答は必ずクライアントの中にすでに存在しているんです。
それを捏ねくり回す(笑)。
「気付いていないだけ」 「気付いているのに気付かないふりをしているだけ」 「気付いていても否定している」
こういうケースがほとんどです。
これには「消去法質問攻め」が有効ですね。
クライアントに「No」を山ほど言って頂く。
最後には「Noのネタ切れ」に追い込む。
なんだか戦国時代の「城攻め」に似てますよね。
まずは外堀~内堀を埋めて、三の丸、二の丸、本丸。
で、結局は「自分の中に解答はあるじゃないですか!」
となる。
終わってみれば「な~んだ、そうだったのか!」
「自分探し」・・・?
自分の外に自分が売ってるんですか?
どこかを彷徨っているんですか?
それとも誰かに盗まれちゃったんですか?
「犬の尻尾」ですってば(笑)
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